護国寺

第3回(第1話)- 大本山 護国寺(文京区大塚)

 

 

桂昌院の祈願寺として建立された護国寺

護国寺護国寺の正式名称は「真言宗豊山派 神齢山悉地院大聖護国寺」。
その創建は天和元年2月(1681年)、五代将軍徳川綱吉公が、その生母、桂昌院(けいしょういん)の発願により、上野国(群馬県)碓氷八幡宮の別当、大聖護国寺の亮賢僧正を招き開山。
幕府所属の高田薬園の地を賜い、堂宇を建立、桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観世音菩薩像を本尊とした。 号を神齢山悉地院護国寺と称し、寺領三百石を賜ったことに始まる。
翌2年、堂宇は完成した。
明治16年、大正15年と火災で堂宇の多くを失ったが、観音堂(本堂)は元禄以来の姿を変えず、また、近江三井寺より移築された月光殿(重文)は桃山期の建築美を今に伝えている。
その他、薬師堂、大師堂、多宝塔、忠霊堂や創建当時のものと伝えられる仁王門、惣門。
そして中門と多くの堂宇が保存、または再建されている。
また、元禄文化の粋を集めた書画・什器の他、国宝、重要文化財等の数多くが寺宝とされている。
震災、戦災と二度の大災害に襲われた東京の都心にありながら、江戸の面影を今に伝える当寺の姿は、訪れる人々の心のふれあいの場として、昔も今も変りなく親しまれている。

今回は、仁王門から見頃を迎えていた桜をみながら階段を登り不老門へ。
地域のみなさんとふれあいながら、不老門をくぐり本堂へ向かう里見さん。

本堂(観音堂)と本尊(如意輪観世音菩薩)

本堂(観音堂)現在の観音堂(本堂)は、元禄10年(1697年)正月、観音堂新営の幕命があり、約半年余りの工事日数でこの大造営を完成し、同年8月落慶供養の式典が挙げられた。
また元禄時代の建築工芸の粋を結集した大建造物で、その雄大さは都内随一のものと賞され、しかも震災・戦災と二度の大災害にも襲われながら姿も変えず、江戸の面影を今に伝えている。

本尊は、天和2年(1682年)護国寺本堂が落成した際、桂昌院の念持仏である唐物天然琥珀の如意輪観世音菩薩が安置され、その後秘仏となり、現在安置されているのが、六臂如意輪観世音菩薩像である。
願主は、堀田正虎の母栄隆院とされ、元禄13年10月に寄進したと伝えられている。
御頭は恵心僧都の作で身体はこの折、新たに作られたとされる。
この像で示される、六本の手によって、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六つの世界をそれぞれ救うことを表している。
名前の由来は、御姿にあり、一つの右手には、意のままに様々な願いをかなえる宝の珠である如意宝珠を持ち、そして一つの左手には車輪が回り続ける様に、仏教の教えが尽きる事無く世界に巡ることを現わす輪宝を持つ、この如意宝珠と輪宝とを持ち合わせているのが如意輪観世音菩薩と称される。
また、右膝を立てて左の足の上に乗せ、一つの右手を頬に当て首を傾けて思惟相を示し、どのようにして苦しんでいる衆生を救おうかと思い巡らすことを表す。
お顔には慈悲深い表情をたたえ、温かいまなざしで衆生を見守り続けているとされている。

大本山 護国寺
文京区大塚5の40の1(東京メトロ有楽町線「護国寺駅」下車すぐ)
電話:03-3941-0764
ホームページ:http://www.gokokuji.or.jp/

企画・製作・著作
一般社団法人 日本地域振興新聞社
後援 公益財団法人 全日本仏教会
出演
護国寺 第54代貫首(住職) 岡本永司
護国寺ご案内 院代 関本隆人
MC・里見浩太朗
ナビゲーター・川島ノリコ

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